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『鬼滅の刃 #21』 作者・吾峠呼世晴


 吾峠呼世晴先生の『鬼滅の刃』の第21巻です。


 上弦の壱との激闘の末、遂に決着。死力を尽くした戦いの末、辛くも勝利した鬼殺隊だが、その代償はあまりにも大きかった。一方、無惨の元へたどり着いた鬼殺隊であったが、圧倒的な無惨の力により、無惨の体力を回復させるための餌となってしまうだけであった・・・。

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 フェミさんと表現の自由の戦いもありますよね。可愛く描いた、フェミさんからは性的といわれる漫画やイラスト。フェミさんは攻撃したくてたまらないようです。LGBTに対しては寛容にという社会になっています。自己の性をどこに置くかということと同時に、パートナーの性に何を求めるかという問題ですよね。さて、ではパートナーに年少者を求めることはどうなんでしょう。パートナーを親や兄弟姉妹、子供に求めたらどうなのでしょう。現在、LGBTに対して寛容な社会になってきていますが、過去には犯罪であったこともあるわけですし、今でも、犯罪となっている国は多くありますしね。年少者、近親相姦など、現在、社会に受け入れられないものがあります。でも、LGBTの方たちと、ほかのマイノリティとの違いは何なのでしょう。性については他人に迷惑をかけなければ、個人の自由というのが僕の考えです。嫌がっている人に強制せず、自分たちで勝手にやっているのはそれはどんな性でもいいのではと思っています。ただし、年少者については、年少者が判断を自分でするには価値観が定まっていないと思うので、年少者に対しては強制でなく同意があっても駄目だというのが僕の考えですけどね。法律上13歳以下の場合、同意があっても強姦になるのと同様の考えですね。しかし、コミック、小説、ゲームなどで、年少者とのことを妄想して楽しむのであれば、それは相手がいないのだから自由というのが、僕の考えです。人に迷惑をかけない限り、他人の性についてはほっとけ、見ないふりをしてやるのも優しさだろうというところでしょうか。ロリ・ショタや近親相姦、その他のすべての性のマイノリティーがもし間違っているというなら、LGBTもはっきり間違えていると僕は思います。なぜ、LGBTとロリ・ショタ、近親相姦などと一緒に考えているかというと、動物としての性から外れているということですね、妊娠年齢に達していないものに欲望を持つとか、遺伝的危険があるものに欲望を持つとか、同姓に欲望を持つとかというものは、結局動物的な繁栄、子孫を作る行為外ということになるわけで、だから間違えている。もっと極端に言えば、コンドームをするのもある意味間違いということでしょうか。でも、人間の場合、愛情表現という意味でもあるので、その愛情表現的欲望を向ける先は、どこに向いても自由かなと思っています。だから、動物的な間違いであっても、ほかの人に迷惑さえかけなければよいということでしょうか。ということで、なぜかLGBTには寛容で、ロリに不寛容なフェミが、筋が通らないなと思うわけです。
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テーマ : 漫画の感想 - ジャンル : アニメ・コミック

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